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教師は世界中の人々であり、教室は世界そのものであるという学校。

沢木耕太郎著の「旅する力」読了。
印象的な文字列が最終章に出てきたのでここに記す。

 もしあなたが旅をしょうかどうしようか迷っているとすれば、わたしは多分こう言うでしょう。
「恐れずに」
 それと同時にこう付け加えるはずです。
「しかし、気をつけて」
 異国はもちろんのこと、自国においてさえ、未知の土地というのは危険なものです。全く予期しない落とし穴がそこここにあります。しかし、旅の危険を察する能力も、旅をする中でしか身につかないものなのです。旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であるとともに、大きくなるための力をつけてくれる場でもあるのです。つまり、旅はもうひとつの学校でもあるのです。
 入るのも自由なら出るのも自由な学校。大きなものを得ることもできるが失うこともある学校。教師は世界中の人々であり、教室は世界そのものであるという学校。
 もし、いま、あながそうした学校としての旅に出ようとしているのなら、もうひとつ言葉を贈りたいと思います。
「旅に教科書は無い。教科書を作るのはあなたなのだ」
と。
沢木耕太郎


 もうひとつ印象的な文がある。これはジョン・スタインベックの『チャーリーとの旅』の中の記述とのこと。ジョン・スタインベックという人物の存在自体知らなかったが非常に共感できる文章である。

 長い期間にわたって旅を計画していると、心中ひそかに、出発したくないという気持ちが起きてくるものである。私も、いよいよ出発の日が近づくと、暖かい寝床と居心地のよい家がしだいにありがたくなり、愛する妻がいいようもなく大事になってきた。こういうものを捨てて、恐ろしい未知のもの、心地よくないものを進んで取ろうとは、気ちがい沙汰に思われてくるのであった。出かけたくない。旅行を中止しなければならないような事態が起きてほしい。しかし何事も起きなかった。


 旅と旅行の違いはなんだろうか。「行」がない「旅」はいったい何者なのであろうか。私なりの答えを考えた。
 「行」がない、即ち「戻」もない。
 旅はヒトを地球という大きな流れに誘い、土地・人種・国家などの様々なボーダーを消し去り一つにしてくれるのではないかと今は思う。